51：412 症例報告 胃全摘術後 23 年後に末梢神経障害，脊髄症，小脳失調， 潜在的視神経症を呈した銅欠乏の 1 例 稲葉 明子 山﨑 亮 鳥居 孝子 大八木保政 篠田 紘司 吉良 潤一＊ 要旨：症例は 61 歳男性である．37 歳で胃癌のため胃全摘を施行．60 歳より下肢異常感覚が出現，61 歳より歩行 時のふらつきを自覚．神経学的に左上下肢の腱反射亢進，両下肢の失調，両下肢の異常感覚，Th12 以下の触覚低下， 両下肢の全感覚低下をみとめた．ロンベルグ徴候は陰性．電気生理学的検査では両側錐体路・後索障害，両下肢末 梢神経障害，潜在的視神経障害をみとめた．血清銅 10μg! dl と著明な低下をみとめ，銅欠乏による末梢神経障害， 脊髄症，視神経症と診断し，銅補充療法を開始後，症状は改善した．本例は胃全摘術後 23 年の経過でこれらの神経 障害を発症しており，胃切除後長期経過における神経障害では銅欠乏も考慮すべきである． （臨床神経 2011;51:412-416） Key words：銅欠乏，ビタミンE欠乏，末梢神経障害，脊髄症，胃切除後 生活歴：20 代よりビール 750ml! 日．偏食なし．喫煙歴な はじめに し． 現病歴：2008 年 5 月頃（60 歳時）より駆け足の時，足がも 銅欠乏症は日常診療においては長期の経管栄養・中心静脈 つれるようになった．11 月頃より両下腿のジンジン感が出現 栄養患者においてみられ，貧血を呈することが知られている． し，しだいに上行した．2009 年 4 月 （61 歳時） ，異常感覚が両 近年海外を中心に，胃切除後１）〜７），肥満手術後などの消化管疾 大腿後面に達し，歩行時にふらつくようになったため同年 5 ８） ９） 患 １０） 〜１３） ， 高亜鉛血症 にともなう銅欠乏性の末梢神経障害， 脊髄症の症例報告が相次いでいる．今回われわれは胃切除後 月当科へ精査目的で入院した．59 歳より頻尿・残尿感を自覚 していた． の銅欠乏による末梢神経障害，脊髄症，視神経障害の一例を経 入院時現症：一般身体所見は身長 169cm，体重 55.1kg，血 験した．ビタミン E 欠乏を合併し小脳失調，小脳萎縮を呈す 圧 145! 95mmHg，脈拍 80! 分（整） ，体温 36.5℃．神経学的に る点が銅欠乏症による神経障害としては非典型的であった． は，意識，知能，脳神経領域は正常で，四肢の筋萎縮・不随意 また，本邦での銅欠乏症は消化管術後の中心静脈栄養や経腸 運動はなく，筋力，筋トーヌスも正常であった．左上下肢の腱 栄養といった非経口栄養にともなう貧血症の報告がほとんど 反射は軽度亢進し，病的反射は陰性であった．両下肢協調運動 であり，神経障害に関する報告は神経内科領域ではきわめて はやや拙劣であった．歩行は開脚歩行であり，継ぎ足歩行は不 １７） 〜１９） 少ない ．本邦では胃切除のみで銅欠乏症による神経障害 を呈した例はないため考察を加え報告する． 能であった．ロンベルグ徴候は陰性であった．感覚は両下肢末 端から大腿後面に異常感覚を自覚し，触覚は両側第 12 胸髄髄 節レベル以下で低下，痛覚は両下肢で過敏であり，足底では低 症 例 下していた．両下肢で温度覚の中等度低下，振動覚，位置覚の 軽度低下をみとめた． 症例：61 歳，男性 入院時検査所見：末梢血は WBC 2,960! μl（好中球 50.0％， 主訴：両下肢異常感覚，歩行時のふらつき リンパ球 31.8％，単球 11.1％，好酸球 5.4％，好塩基球 1.7％） ， 既往歴：37 歳に胃癌に対して胃全摘術施行された．50 歳よ μl，Hb 12.0g! dl，MCV 104.2fl であり好中球減 RBC 354×104! り軽度の貧血を指摘され，ビタミン，鉄剤を処方されるが改善 少，大球性貧血をみとめた．一般生化学検査では肝機能，腎機 はなかった．十数年間メコバラミン 1,500μg! 日を内服してい 能，電解質，内分泌に異常はなかった．抗核抗体，抗 SS-A， たが近年は自己中断しており，クエン酸第一鉄ナトリウム 抗 SS-B 抗体など膠原病に関連する自己抗体は陰性であり， 100mg! 日，葉酸 10mg! 日のみ内服継続していた． そのほか免疫系の異常はみとめなかった．腫瘍マーカーは ＊ Corresponding author: 九州大学大学院医学研究院神経内科学〔〒812―8582 九州大学大学院医学研究院神経内科学 （受付日：2010 年 11 月 21 日） 福岡市東区馬出 3―1―1〕 胃全摘術後 23 年後に末梢神経障害，脊髄症，小脳失調，潜在的視神経症を呈した銅欠乏の 1 例 Table 1 Nerve Nerve conduction experiments. CMAP (mV) MCV (m/s) R 15.09 (＞3.5) 51.4 (＞48) 50 55.6 (＞44) 18.40 (＞19) L 18.36 55.7 100 53.7 14.60 R 14.62 (＞2.8) 56.5 (＞49) 88 56.7 (＞44) 16.55 (＞18) L 15.79 61.5 94 53.9 9.45 Tibial R 11.02 (＞2.9) 39.6 (＞41.3) 44 Peroneal L R 7.74 3.92 (＞2.9) 43.8 39.8 (＞41) 88 44 L 1.00 40.2 19 R 52.2 (＞45) 18.42 (＞3) L 53.8 24.48 Median Ulnar Sural 51：413 F-frequency (%) SCV (m/s) SNAP (μV) The nerve conduction experiments show reductions in the sensory nerve action potentials in the upper extremities. CMAP＝compound muscle action potential; F-frequency＝F wave-evoked frequency; MCV ＝motor nerve conduction velocity; SCV＝sensory nerve conduction velocity; SNAP＝sensory nerve action potential. Normal values are in parentheses. Table 2a Median Tibial R L Findings for the median/tibial somatosensory evoked potentials. N9 latency (ms) N13 latency (ms) N20 latency (ms) N9-N13 interpeak latency (ms) N9-20 interpeak latency (ms) N13-20 interpeak latency (ms) 10.5 (＜11.03) 10.2 15.75 (＜15.04) NE 22.80 (＜21.45) 22.95 5.25 (＜4.58) ― 12.30 (＜10.90) 12.75 7.05 (＜7.33) ― N17 latency (ms) N20 latency (ms) P37 latency (ms) N20-37 interpeak latency (ms) 20.20 (＜24.37) 20.20 50.70 (＜44.35) 51.70 30.50 (＜21.83) 31.50 R L The somatosensory evoked potentials show prolonged N13 latency, N20 latency, N9-13 interpeak latency, and N13-20 interpeak latency of the upper extremities, and remarkably prolonged N20 latency and N20-37 interpeak latency of the lower extremities. NE: Not evoked. Normal values are in parentheses. Table 2b Muscle Thenar R L Plantar R L Findings for the motor evoked potentials. Scalp latency (ms) C7 latency (ms) Erb latency (ms) Central conduction time (ms) 28.30 (＜24.71) 28.25 15.85 (＜15.48) 14.75 14.00 (＜13.60) 13.00 12.45 (＜10.67) 13.50 Scalp latency (ms) L4 latency (ms) Central conduction time (ms) 54.20 (＜44.07) 54.50 25.30 (＜26.27) 25.80 28.90 (＜21.04) 28.70 The motor evoked potentials show prolonged peripheral and central conduction for the median nerve and remarkably prolonged central conduction for the tibial nerve. Normal values are in parentheses. CEA，CA19-9， NSE，PSA，CYFRA は正常範囲であった．血 た．神経伝導検査（Table 1）では，下肢運動神経では右脛骨 清鉄 88μg! dl，フェリチン 147ng! ml，TIBC 293μg! dl，ビタミ 神経の運動神経伝導速度が低下し，F 波検出頻度の減少もみ ml，ビタミン B12 207pg! ml，葉酸 20.0ng! ml 以上 ン B1 30ng! られた．また両側腓骨神経で左優位に複合筋活動電位，F 波検 と正常値であった．ビタミン E 0.7mg! dl（基準値 0.75〜1.41 出頻度の減少をみとめた．感覚神経では左優位に両上肢の感 mg! dl） ，血清亜鉛 48μg! dl（基準値 65〜110μg! dl）と軽度低 覚神経活動電位振幅が低下していた．体性感覚誘発電位（Ta- 下，血清銅 10μg! dl（基準値 68〜128μg! dl） ，セルロプラスミ ble 2a） では右上肢で N9-13 遅延がみられた．左上肢では N13 ン 6mg! dl（基準値 21〜37mg! dl）と著明な低下をみとめた． が誘発されず，N9-20 は遅延しており，両下肢では左優位に 脳脊髄液は細胞数 1! μl （単核球） ，蛋白 22mg! dl と正常であっ P37 が延長していた．運動誘発電位（Table 2b）は，右母指球 51：414 臨床神経学 51巻６号（2011：６） 筋で頭部（scalp） ，頸部神経根（C7） ，Erb いずれの刺激にお と診断した．銅欠乏に対し，補助食品・ココアなど一日計 1.8 いても潜時が延長しており，左側では C7， Erb 刺激で潜時延 mg! 日の食事による銅補充，ビタミン E 欠乏に対し酢酸トコ 長がみられた．両足底筋では scalp 刺激の潜時のみ延長して フェロール 300mg! 日内服を 2009 年 6 月初旬より開始した． いた．視覚誘発電位（Table 2c）では左刺激で 10 分のチェッ 二週間後より両下肢〜足底の異常感覚は軽快し，6 月下旬退 ク刺激に対する P100 潜時の遅延をみとめた．頭部 MRI では小 院した． 7 月中旬よりグルコン酸銅 6mg! 日を内服開始した． 脳上部の萎縮がややめだった （Fig. 1） ．頸部，胸部，腰部脊椎 血清銅はすみやかに正常化し，歩行障害も治療開始半月後よ 単純 MRI を矢状断，冠状断，水平断で撮影したが，T1 強調画 り改善傾向となった（Fig. 2） ． 像，T2 強調画像とも異常はなかった．体幹部造影 CT，下部消 考 化管内視鏡，ガリウムシンチは異常なかった．眼科受診では両 察 側矯正視力 0.5 であり，視神経乳頭陥凹をみとめたが明らか な視神経炎はなかった．泌尿器科受診では腹部エコーにて残 本例はロンベルグ徴候が陰性であり，小脳性失調，小脳萎縮 尿・前立腺腫大はみとめられなかった．神経因性膀胱は明ら をみとめる点が銅欠乏症としては非典型的であり，検索しえ かでなかった． た範囲では銅欠乏で小脳失調をきたした報告はなかった．動 入院後経過：身体所見から両下肢の小脳性失調，第 12 胸髄 物モデル swayback では病理的には小脳にも病変をみとめる 以下の後索障害，両下肢のポリニューロパチーの合併が示唆 こと２２）や，正常と比較し小脳でのシトクロームオキシダーゼ された．また，上腕二頭筋以下の左上下肢の腱反射亢進から左 活性の明らかな低下も指摘されている２６）ことから銅欠乏によ 錐体路障害がうたがわれた．電気生理学的検査も併せて考察 る現れである可能性も否定できない． すると，両側（左優位）下部頸髄，下部胸髄レベルの脊髄錐体 路・後索障害，感覚ポリニューロパチー型の両下肢末梢神経 障害，小脳障害が示唆された．右上肢神経根，左視神経の障害 は電気生理学的にのみ示唆された． 著明な血清銅の低下，慢性〜亜急性に発症する末梢神経，脊 髄後索・側索，視神経障害から銅欠乏性の末梢神経・脊髄症 Table 2c Findings for the visual evoked potentials. Full field stimulation R L P100 15ʼ (ms) P100 30ʼ (ms) 121.20 (＜123.8) 124.20 111.3 (＜121.0) 113.4 Fig. 1 Brain MRI findings. (A) T1 weighted axial image and (B) T1 weighted sagittal image (3T, TR 538 ms, TE 12 ms). The images reveal mild atrophy of the cerebellum, especially the superior portions. The visual evoked potentials show prolonged P100 15ʼ of the left eye. Normal values are in parentheses. Tocopherol acetate 300 mg Food supplement About 2 mg copper Copper gluconate 6 mg 2 mg Sensory impairment Gait disturbance Tandem gait (steps) Serum copper (Pg/dl) Ceruloplasmin (mg/dl) Gastrectomy 1985 2007 Nov. 2008 Nov. 2009 Apr. 0 10 6 1 22 Admission Discharge Jun. Jul. Fig. 2 Clinical course. 4-5 77 6 90 10 92 34 Aug. Sep. Oct. 胃全摘術後 23 年後に末梢神経障害，脊髄症，小脳失調，潜在的視神経症を呈した銅欠乏の 1 例 また，本例では軽度ながらビタミン E 欠乏もみられた．ビ タミン E 欠乏は胃切除後にみられることがあり２３）２４），本例で も胃切除の影響が考えられた．軽度のビタミン E 欠乏例での 末梢神経障害や小脳失調の報告もあるので２４），末梢神経障害， 小脳失調に関してはビタミン E 欠乏症による神経障害の寄 与も一部考えられる．ただし，ビタミン E 欠乏で小脳萎縮を きたすばあいは，高度の低下例にかぎられる２７）２８）．セリアック 病の患者でビタミン E，銅の欠乏症をきたし，歩行不安定， MRI 上小脳萎縮を呈した症例報告もあり２５），病像が本例と類 似していると考えられた．したがって，本例でも小脳萎縮を呈 するほどの小脳障害には，銅欠乏・ビタミン E 欠乏の両者の 複合的な寄与の可能性が示唆される． 銅は魚介類，木の実などに多くふくまれており，胃，十二指 腸，空腸近位部で吸収され，呼吸鎖関連酵素のシトクロム c オキシダーゼなど複数の酵素の活性中心となる．これら酵素 活性の低下が銅欠乏性神経障害の病態と考えられているが， 明確にはなっていない３）２６）．通常の経口摂取では銅欠乏をきた す事はないが，非経口栄養や亜鉛過剰摂取，胃切除後では数年 から数十年を経て銅欠乏性神経障害を発症し得る．本邦での 報告は中心静脈栄養開始後，数カ月から数年と比較的短期間 に神経障害を発症しており，本例のように吸収障害のみのば あいは消化管術後 10 年以上など長期経過後の発症が多く，中 には 20 年以上経過した後に発症した例も散見される１）４）５）〜８）． 血液検査では銅，セルロプラスミンの低下，貧血，好中球減少 などがみられる．神経伝導検査では軸索障害主体，運動，感覚， 混合型の末梢神経障害の所見がみられる３）１５）．体性感覚誘発電 位では中枢＋末梢性障害パターンを示す１６）．MRI では頸髄， 胸髄後索に数レベル連続，もしくは斑状の T2 高信号を示 す３）１１）１４）．症状は感覚障害，感覚失調性歩行，痙性歩行などで あり，視神経障害を合併するばあいもある６）７）．治療は銅の補 充であり，経腸栄養のばあい，ココア，微量元素を多くふくむ 栄養剤２０），経静脈栄養のばあいは微量元素製剤投与をおこな う．治療による改善の度合いは様々であり，後遺症が残ること が多いとされているが，進行は防ぐことができたという報告 がほとんどである．予後を規定する因子は現時点では不明で あるが，本例ではパレステジーが症状の主体であり，小脳失調 による運動障害は軽微であったため，パレステジーの改善に より障害も改善しやすかったのではないかと思われる．胃切 除後に銅欠乏性神経障害を呈する頻度についての報告は少な いが，20 人中 3 名にみとめられたとするものもあり２１），見過 ごされている症例も多いのではないかと考えられる． 吸収障害をきたす消化管疾患や消化管術後，非経口栄養患 者において神経症状がみられたばあい，ビタミン欠乏に加え て銅欠乏を見逃さないよう注意することが望ましい． 本論文の要旨は第 287 回日本内科学会九州地方会（2009 年 11 月 1 日，福岡） ，第 28 回日本神経治療学会総会（2010 年 7 月 16 日，横浜）で発表した． 51：415 ated myelopathy in a 46-year-old-woman. 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Magnetic resonance imaging showed atrophy of the cerebellum, and electrophysiological findings suggested the presence of disorder in both sides of the pyramidal tract, dorsal column, peripheral nerves, and optic nerve. Laboratory findings revealed anemia, neutropenia, and a remarkably low serum copper level (10 μg! dl; normal: 68-128). His serum vitamin E was slightly low and his serum vitamin B12 was within the normal limits. After administering an oral copper supplement, his symptoms improved with normalization of the serum copper level. We need to pay attention to myeloneuropathy caused by copper deficiency if the patient has a past history of total gastrectomy. (Clin Neurol 2011;51:412-416) Key words: copper deficiency, vitamin E deficiency, peripheral neuropathy, myelopathy, post-gastrectomy