52：769 短 報 神経画像検査にて脳静脈還流異常をみとめた 一過性全健忘の 39 歳女性例 坂井 利行１）＊ 冨本 秀和２） 要旨：一過性全健忘（TGA）を呈した 39 歳の若年女性例を報告する．入浴後の性交直後から記憶障害が急激に出 現したが，約 6 時間以内に記憶が回復した．発症 80 時間後の 3.0 Tesla 頭部 MRI 拡散強調画像で両側海馬 CA1 領域に高信号域を，頭・頸部 magnetic resonance venography（MRV）で右側横静脈洞の低形成と両側腕頭静脈狭 窄をみとめた．また，頸静脈エコーでバルサルバ負荷時に右側内頸静脈の逆流時間の延長をみとめた．自験例は， 脳から還流する血管床が減少した状況下でバルサルバ負荷によって静脈内圧が上昇し，虚血に脆弱な海馬 CA1 領 域に静脈性虚血が生じたものと推定される． （臨床神経 2012;52:769-773） Key words：一過性全健忘，海馬，バルサルバ負荷，静脈性脳虚血，若年発症 くなった．男性に， 「今，何時」 「 ，ここはどこ」 「 ，今，何をしてい はじめに るの」などの同じ質問をくりかえし， 「どこの学校に行ってい TGA の病因として，片頭痛，てんかん，血栓や塞栓による かえし尋ねた．午前 7 時 30 分頃になり記憶がもどった．その 脳虚血などが推定されてきた．また，TGA 発症に際し 50％ 前 後はいつも通り変わりなく生活できていたが心配になり，3 後の症例で前駆する様々な背景因子をともなうことが報告さ 日後に当科を受診した． るの」 「 ，なぜ結婚をしていないのか」などの既知の内容をくり れているが１），病因との関連性は特定されていない．一方で， ２） 最近では静脈性虚血の関与が推定されている ． 理学的所見：安静時血圧は 114! 68mmHg で，起立性低血 圧はみとめられず，心雑音も聴取されなかった． 自験例は血管リスクがみられない若年女性例であり，性交 神経学的所見：意識は清明で，言語は異常がなかった．順行 直後に TGA が発症したためバルサルバ負荷の関与が示唆さ 性健忘と約 6 時間におよぶ逆行性健忘以外，神経学的に異常 れた．このため，静脈性虚血の存在を証明する目的で神経画像 所見をみとめなかった．発症 3 日後に施行した Mini-Mental による静脈還流状態の詳細な評価をおこなった．3.0 Tesla State Examination （MMSE） は 28! 30 と軽度低下していたが， （3T）MRI の拡散強調画像（DWI）では両側海馬 CA1 領域に 3 単語の即時再生検査，および遅延再生検査ではすべて正答 高信号域が描出され，頭・頸部 magnetic resonance venogra- がえられた．三宅式記名力検査は，有関連語において明らかな phy （MRV） ，および頸静脈エコー所見から脳静脈うっ滞が示 低下はなかったが，無関連語において記銘力低下をみとめた． 唆された．脳静脈還流障害により，虚血に脆弱な海馬 CA1 検査所見：血液，凝固・線溶系および生化学検査ではとく 領域に静脈性虚血が生じたことが推定されたので報告する． に異常をみとめなかった．心電図は洞調律（75! 分・整）であ り，経胸壁心エコーと頸動脈エコーは異常がなかった．経食道 症 例 心エコーは同意がえられず施行できなかった．ホルター心電 図では R-R 延長や発作性心房細動などの不整脈は記録され 患者：39 歳，女性 なかった．発症 80 時間後の 3T MRI の DWI（Fig. 1A）で， 主訴：思い出せない，同じ質問をくりかえす 両側海馬 CA1 領域に限局した径 3mm 程度の高信号域をみ 既往歴，家族歴：特記事項はない． と め た ． 3 T 頭 ・ 頸 部 Magnetic resonance angiography 現病歴：2011 年 6 月上旬の 20 時過ぎ，親しい男性と夕食 （MRA）では異常がなかった．3T 頭・頸部 MRV で，右側横 を摂取した．21 時頃にテレビを鑑賞した後，23 時過ぎに入浴 静脈洞の低形成（Fig. 1B）および両側腕頭静脈狭窄（Fig. 1 し，翌日午前 1 時頃，性交の直後から突然に記憶がまったくな C） がみとめられた．内頸静脈を，Color-coded duplex sonogra- ＊ Corresponding author: 済生会松阪総合病院〔〒515―8557 済生会松阪総合病院神経内科 2） 三重大学大学院医学系研究科・神経病態内科学 （受付日：2012 年 1 月 25 日） 1） 松阪市朝日町 1 区 15―6〕 52：770 臨床神経学 52巻10号（2012：10） A a b R c B d C R Fig. 1 Photographs of diffusion weighted imaging (DWI), and brain and cervical magnetic resonance venography (MRV). A. DWI taken 80 hours after onset reveal hyperintense spots in the CA1 subfields of the bilateral hippocampi (arrows). a and b: axial view, c and d: coronal view. TR 5,000 msec/TE 56.789 msec, Philips 3.0 Tesla Achieva Quaser. B. Brain MRV reveals hypoplasia of the right transverse sinus (arrow). TR 20 msec/TE 7.123 msec, Philips 3.0 Tesla Achieva Quaser. C. Cervical MRV reveals stenosis of the bilateral brachiocephalic veins. (arrows). TR 20.4652 msec/TE 3.454 msec, Philips 3.0 Tesla Achieva Quaser. 神経画像検査にて脳静脈還流異常をみとめた一過性全健忘の 39 歳女性例 52：771 A B Fig. 2 Photographs of ultrasound sonographic studies of the right internal jugular vein during valve closure. A. Doppler spectrum reveals physiological retrograde flow components during resting condition (arrows). B. Doppler spectrum reveals prolonged retrograde flow component (duration: 1.842 second) during a Valsalva maneuver (arrows). phy と Color Doppler sonography で評価した．バルサルバ負 荷は Sander ら３）の方法に準拠して 4 秒間の最大負荷をかけ 考 察 た．内頸静脈弁は B-mode imaging で腕頭静脈との結合部の 上方 0.3〜0.5cm の inferior bulb に局在し，弁構造は二尖弁４） ５） で弁の性状は細長く整っており ，形態異常はみとめず，弁の TGA の発症年齢は 50〜80 歳の報告が大多数を占め，自験 例のような若年者および超高齢者ではほとんどみられない１）． 開閉運動に関して観察上は異常所見をみとめなかった．両側 従来から TGA の原因として，片頭痛，てんかん，動脈性血 内頸静脈は B-mode imaging と Color Doppler imaging で，安 栓や塞栓による脳血管障害，および静脈性虚血などが推定さ 静時の弁閉鎖の間（Fig. 2A）には生理的逆流以外には遷延し れてきた．海馬 CA1 領域はとくに虚血に脆弱であり６），何ら た逆流をみとめなかったが，バルサルバ負荷時の弁閉鎖の間 かの原因により虚血障害が加わると TGA 発症の可能性が高 （Fig. 2B）には右側内頸静脈で 1.842 秒と逆流時間の延長（正 くなる３）．しかし，単純な動脈性虚血に関しては，近年の神経 ５） をみとめた．発症 6 日後の脳波では，基礎 常；0.22〜0.78 秒） 画像検査や血管リスク因子の検討結果から否定的である． 波は 11Hz であり，発作性律動異常波はみられなかった．発症 片頭痛との関連では spreading depression７）８）が鑑別にあげ 3 週間後の 3T MRI の DWI，T2 強調画像，fluid-attenuation られるが，持続時間は通常数分から数時間であり，自験例の inversion recovery（FLAIR）画像で海馬病変は描出されな MRI で発症 3 日後の DWI において高信号所見をみとめたこ かった． とから一過性電気化学的現象とは捉えられず片頭痛は否定さ 52：772 臨床神経学 52巻10号（2012：10） れる． 運動により静脈還流が増大した状況下でバルサルバ負荷が加 性交直後に発症しバルサルバ負荷の関与が示唆されるた わり，持続的な脳静脈うっ滞から両側の海馬 CA1 領域に静脈 め，塞栓性機序によるものとしてはとくに卵円孔開存 （PFO） 性虚血３）が生じた機序が示唆され，Lewis２）の仮説の妥当性が の可能性があげられる．しかし，Akkawi ら７）は，PFO の頻度 支持された． に関して，TGA 患者，TIA 患者および control の間で有意差 がなかったことから，TGA の原因として PFO には否定的で 本論文の要旨は第 132 回日本神経学会東海北陸地方会（2012 年 3 月，名古屋）にて発表した． あるという報告もある．残念ながら，自験例は経食道心エコー 謝辞：自験例の画像診断に協力していただいた済生会松阪総合 や経頭蓋エコー検査を施行していないため PFO の存在に関 病院放射線科 中川俊男医師，高次脳機能検査を施行していただ しては不明である． いたリハビリテーション課 ２） 一方，Lewis は TGA の原因として静脈性虚血を推定して いる．つまり，TGA 発症に際し，約 50％ に前駆する様々な背 景因子を発症直前にみとめることが多く１），これらは TGA １） １） 発症の誘発因子 となりうると考えられる．Quinette ら は 脈エコー検査を施行していただいた生理検査課 ※本論文に関連し，開示すべき COI 状態にある企業，組織，団体 はいずれも有りません． 文 関連した 11 例を報告している．自験例は，発症直前に water サルバ負荷が加わった可能性が高い． 福本義輝検査技 師に深謝いたします． 142 例中，性交に関連した 9 例と water contact や体温変動に contact や体温変動があり，さらに性交の過度な活動中にバル 着本裕子言語聴覚士，ならびに頸静 献 1）Quinette P, Guillery-Girard B, Dayan J, et al. What does transient global amnesia really mean? Review of the lit- 横静脈洞の静脈還流の左右差は，正常人においてしばしば みとめられる所見であるが，Bartsch ら９）によると，TGA 患者 24 例中 21 例（88％）においても静脈洞の左右差がみとめられ た．一方，Chung ら１０）は，TGA 患者の半数例において MRV erature and thorough study of 142 cases. Brain 2006;129: 1640-1658. 2）Lewis SL. Aetiology of transient global amnesia. Lancet 1998;352:397-399. で左側腕頭静脈閉塞をみとめ，左側 S 状静脈洞や下錐体静脈 3）Sander D, Winbeck K, Etgen T, et al. Disturbance of ve- 洞への静脈逆流所見を報告している．自験例では頸部 MRV nous flow patterns in patients with transient global am- で両側腕頭静脈の狭窄所見をみとめたことから，右側横静脈 洞の低形成とともに脳静脈還流に障害が生じる可能性があ る． nesia. Lancet 2000;356:1982-1984. 4）Ratanakorn D, Tesh PE, Tegeler CH. A new dynamic method for detection of internal jugular valve incompe- TGA 患者では，頸静脈エコーで内頸静脈弁機能不全の頻度 が高く７）８），バルサルバ負荷により内頸静脈逆流時間の延長が ８） tence using air contrast ultrasonography. J Neuroimaging 1999;9:10-14. 高率にみられ ，TGA 発症前にバルサルバ負荷があるばあい 5）Nedelmann M, Eicke BM, Dieterich M. Functional and は，そうでないばあいにくらべてより高率である３）．内頸静脈 morphological criteria of internal jugular valve insuffi- 弁は構造上，二尖弁 66％，単尖弁 15％，三尖弁 6％，および ciency as assessed by ultrasound. J Neuroimaging 2005; ４） 欠損 13％ の頻度と報告され ，欠損は通常左側に多い．弁の 形態は通常 3 型に分類される５）． 内頸静脈弁機能不全の診断法としては，2 通りの方法があ ５） ７） ８） 15:70-75. 6）Ye J, Yang L, Del Bigio MR, et al. Neuronal damage after ５） hypothermic circulatory arrest and retrograde cerebral ，弁閉鎖時の逆流時間に関して診断基準 が設定されて perfusion in the pig. Ann Thorac Surg 1996;61:1316-1322. いる．機能正常弁においても弁閉鎖の間に生理的な逆流がみ 7）Akkawi NM, Agosti C, Anzola GP, et al. Transient global とめられ持続時間は 0.22〜0.78 秒（0.46±0.14 秒）であるが， amnesia : a clinical and sonographic study. Eur Neurol り ５） 機能不全弁の逆流時間は 1.23〜6.15 秒（2.66±1.28 秒） と有意 2003;49:67-71. に延長しており，cut-off 値（0.88 秒）を超える８）．機能不全弁 8）Nedelmann M, Eicke BM, Dieterich M. Increased inci- の逆流は弁の部位に生じ，弁閉鎖が終了した後にもみられる dence of jugular valve insufficiency in patients with tran- のが特徴的であり，右側に多い．機能不全弁は高齢になると発 sient global amnesia. J Neurol 2005;252:1482-1486. 生頻度が高くなることから，加齢の影響が推定されている５）． 9）Bartsch T, Alfke K, Stingele R, et al. Selective affection of 弁の前後径は機能正常弁および機能不全弁ともに左側が小さ hippocampal CA-1 neurons in patients with transient いが，両者間では有意差はみられない５）． global amnesia without long-term sequelae. Brain 2006 ; Nedelmann ら８）によると TGA 患者では機能不全弁の頻度 129:2874-2884. が有意に高いと報告されている．自験例はバルサルバ負荷時 10）Chung CP, Hsu HY, Chao AC, et al. Detection of intracra- に右側内頸静脈に逆流時間の延長をみとめたことから，内頸 nial venous reflux in patients of transient global amnesia. 静脈弁機能不全と診断される． Neurology 2006;66:1873-1877. したがって，自験例は，脳静脈還流障害を背景とし，過度な 神経画像検査にて脳静脈還流異常をみとめた一過性全健忘の 39 歳女性例 52：773 Abstract A 39-year-old woman with transient global amnesia accompanied by cerebral venous reflow abnormalities in neuroimaging Toshiyuki Sakai, M.D.１）and Hidekazu Tomimoto, M.D.２） １） Department of Neurology, Saiseikai Matsusaka General Hospital Department of Neurology, Graduate School of Medicine, Mie University ２） We present a 39-year-old woman with transient global amnesia (TGA) who showed sudden onset amnesia immediately following sexual intercourse after taking a bath. Her amnesia resolved within 6 hours. Three-Tesla (3T) diffusion weighted magnetic resonance imaging (DWI) taken 80 hours after the onset revealed hyperintense spots in the CA1 subfields of the bilateral hippocampi. No abnormalities were noted in 3T DWI, T2 weighted imaging (T2 WI) and fluid attenuated inversion recovery (FLAIR) at 3 weeks after the onset. She had no cardiovascular diseases. Magnetic resonance venography (MRV) revealed hypoplasia of the right transverse sinus and stenosis of the bilateral brachiocephalic veins. Ultrasound sonographic studies revealed a prolonged retrograde flow component of the right internal jugular vein during a Valsalva maneuver. The vast majority of TGA attacks occur between the ages of 50 and 80, and very rarely under the age of 40 years, which is mostly not exposed to vascular risks. We therefore speculate that in conjunction with a decreased vascular beds from the brain, a Valsalva-like maneuver might have precipitated cerebral venous ischemia in the bilateral hippocampi, which are the most vulnerable to ischemic insults. (Clin Neurol 2012;52:769-773) Key words: transient global amnesia, hippocampus, Valsalva maneuver, cerebral venous ischemia, young onset