58：556 症例報告 多彩な幻視と錯視を呈した左後頭葉の脳梗塞の 1 例 時田 下江 春樹1）3） 竹島 豊2） 矢守 慎一2）4） 竹下 茂1） 栗山 潤2） 勝2）* 要旨： 症例は 70 歳の右利き男性．テレビの右画面が遅れて見えることに気づく．その後の 5 日間で，多彩な幻 視と錯視が出現し，近医で脳梗塞を指摘され入院した．右同名半盲以外特に異常なし．MRI で左後頭回，一部舌 状回，楔部の急性期脳梗塞を認めた．入院後も光視や複雑幻視，微視などの症状が出現し，次第に消失したが，光 視は約 2 ヶ月間持続した．このことから光視と複雑幻視，微視の神経基盤は異なることが示唆された．左後頭葉 内側面を中心とした領域の損傷によって，盲視野内の複雑幻視の出現は知られているが，光視や微視など多彩な症 状が合併している症例は稀である． （臨床神経 2018;58:556-559） Key words： 幻視，錯視，左後頭回，脳梗塞 はじめに 既往歴：40 歳 A 型肝炎，64 歳右網膜剝離，69 歳高血圧． 現病歴：2017 年 2 月下旬，テレビのテロップの右側が遅れ 後頭葉を中心とした病変で多彩な中枢性の幻視（visual て見えることに気づいた．改善しないため，翌日近医 A 眼科 hallucination）や錯視（visual illusion）が生ずる 1）．幻視は， を受診，異常は指摘されなかった．次の日，運転免許証更新 実際には存在していない対象が見える現象で，単純な幻視は， で免許センターを訪れ，S 字カーブで脱輪した．視野検査や 点，曲線，円などが無色または多色に見える現象で光視とよ 判断力検査を受け，問題なかったが，眼科を受診することを ばれる．複雑な幻視は人や動物などが見える現象で，複雑幻 勧められ，同日再び A 眼科を受診した．駐車場に車を止める 視あるいは有形性幻視とよばれている．錯視は実在する対象 際，駐車場の停車ラインに，普段はあるはずのない花壇の植 が異常に見える現象で，変形視は，対象像の形が普段とは異 え込みが見えた．確認しようとすると，植え込みは消えた． なった印象に見える症状であり，実物よりも大きく見える巨 眼科では，やはり異常はなかった．同日夜，近くのストアで 視や，小さく見える微視などがある ．視覚保続は，視覚対 コピーをしているとコピー用紙の上に黒い毛の塊のようなも 象が除去された後もその像が残存する時間的視覚保続 のが見えた．帰りの自動車の運転中，道路のセンターライン （palinopsia）と，対象が実際にあるべき範囲を超えて多数あ 上に高さ約 2 メートルほどの葦のようなものが連続して次々 2） るいは延長，拡散して見える空間的視覚保続（polyopia）に分 に見え，対向車線から走ってくる自動車を遮るほどであった 類され，いずれも錯視の一種であるとされている 3）4）． （Fig. 1）．葦のようなものは漠然としており，こげ茶色に近い 今回，左後頭回を中心とした脳梗塞により，単純幻視であ 色であった．はじめから多数連続して見え，自宅に到着する る光視と複雑幻視に加えて，錯視である変形視を呈した症例 までの約 20 分間は変化することはなかった．不安になり，自 を経験したので報告する． 動車を止めて，電話をかけようとすると，突然，右側の視野 に黒い人影のようなものが現れて，後部座席に乗って来るよ 症 例 うに感じたが，すぐに消えた．帰宅し，部屋に入ろうとする と，部屋の中に右側に黒い球体が一度に 3 個～複数個出現し 症例：70 歳，右利き男性 た．黒い球体の一つ一つはモップのような性状特徴をもち， 主訴：目の見え方がおかしい 人の頭ほどの大きさがあり，曲線状に並んでいた．球体の数 *Corresponding author: 脳神経センター大田記念病院脳神経内科〔〒 720-0825 広島県福山市沖野上町 3-6-28〕 1） 脳神経センター大田記念病院リハビリテーション科 2） 脳神経センター大田記念病院神経内科 3） 現：川崎医療福祉大学医療技術学部感覚矯正学科 4） 現：昭和大学医学部リハビリテーション医学講座 （Received July 21, 2017; Accepted July 1, 2018; Published online in J-STAGE on August 31, 2018） doi: 10.5692/clinicalneurol.cn-001081 多彩な幻視と錯視を呈した左後頭葉梗塞 58：557 討し，病巣は後頭葉外側の下後頭回および一部舌状回や楔部 に認められた．また大脳深部白質に，慢性虚血性変化や陳旧 性梗塞巣も認められた（Fig. 2）．MRA では右中大脳動脈分岐 部に中等度狭窄を認めた． 神経心理学的検査：意思疎通は良好で，聴覚的理解障害や 喚語困難，保続，錯語などはなかった．MMSE 27 点，HDS-R 26 点で，見当識や遅延再生で減点を認めた．Trail Making Test （TMA） -A は 71 秒（70 歳代平均 41.3 秒），TMA-B は 118 秒 （70 歳代平均 111.4 秒），かなひろいテスト 23/61（70 歳代平 均 22.4）で視覚性探索はほぼ良好であった．コース立方体組 Fig. 1 The drawing by the patient. While driving a car, he saw strange tall plants similar to reeds that grew one after another along the centerline of the road. み合わせテストは IQ117 であり，一般的な知能や構成能力も 異常は認めなかった． 幻視などの経過：第 2 病日の夜，病室のカーテンに，赤紫 色，紺色，緑色など多彩な色の塊が見え，徐々に下降し数秒 は増えることも減ることもなく，やがて消失した．2 日後近 後に消失した．第 3 病日朝にも同様にカーテンに色の塊が現 医を受診し，頭部 MRI で脳梗塞を認め，当院へ紹介された． れた．塊は緑色を中心としたクジャクの羽模様であった．昼 入院時現症：一般内科的には，特記事項なし．血圧 134/87， にも再び出現し，今度は灰色を中心とした塊であった．その 不整脈なし．体温 36.6°C．神経学的には意識清明で，黄斑回 後数回出現したが，光の色や形は変動し，一定の傾向はなかっ 避のない右同名半盲を認めたが，眼球運動や対光反射も正常 た．食事の時，茶碗や汁物碗を両手で持つと，器や右手の形 だった．顔面の感覚や運動は異常なく，四肢の運動麻痺や が普段と異なり，また小さく見えた．その後も物品や文字， 感覚障害も認めなかった．運動失調なく，深部反射も正常で 写真が変形したり，小さく見えたりする症状が続いた．出現 あった．検査所見：末梢血は正常．LDL- コレステロール 頻度は日によって変動したが，多くの場合，右視野に出現し （181 mg/dl）と HbA1c（6.3％）の軽度増加を認めるが，その た．色が見える体験と変形したり小さく見えたりする体験と 他一般生化学検査や血液凝固系は異常なく，肝機能，腎機能， は，同時に出現することはなかった．いずれも左視野に出現 甲状腺機能なども正常であった． することもあったが，主として右視野で出現し，多くの場合 画像所見：頭部 MRI 拡散強調像で左後頭葉に高信号を認 数分間の持続であった．色が見える体験は，発症から約 2 ヶ め，ADC（apparent diffusion coefficient）が低下しており，急 月後も出現したが，黒か灰色で，初期のように多彩な色が出 性期脳梗塞巣を示した．FLAIR 像（冠状断，軸位断）でも検 現することはなくなり，その後消失した． Fig. 2 Brain MRI of the patient. MRI performed upon admission showed an acute infarct lesions (bold arrows) in the left occipital gyrus, lingual gyrus and cuneus, and many old infarcts in the periventricular and deep white matter regions (arrows). A and B; coronal, FLAIR image (1.5 T, TR 7,000 ms, TE 108 ms.). C–F; axial diffusion weighted image (DWI) (1.5 T, TR 5,146 ms, TE 87 ms). G–J; axial FLAIR image (1.5 T, TR 8,000 ms, TE 98 ms, IT 2,436 ms). 臨床神経学 58 巻 9 号（2018：9） 58：558 考 察 では活性化した像が盲領域に補完され，盲視野内幻視となる 機序が指摘されている 1）2）．さらに，その統合には，脳梁膨大 本症例では多彩な幻視と錯視が出現した．単純幻視として 部が重要であることも報告されている 16）17）．概念的に，脳損 は，入院中カーテンなどに変動して出現した多彩な色の塊は 傷により視覚情報の統合に不均衡が生じた際，直接的に損傷 光視である．これらは一定の傾向なく出現している．また， を受けて視覚情報量の減少や内容欠落などが生じる現象が陰 実在しない花壇やコピー用紙の上の黒い塊，自動車に乗り込 性症状であり，それまで抑制されていたものが解放され生じ もうとした人影，帰宅中に見えた葦のようなもの，自宅内で る現象あるいは活性化された症状は陽性症状である．幻視や 見えた球体のようなものは複雑幻視である．また，食事の際， 変形視は，視覚の陽性症状と位置付けられている 1）18）．本症 茶碗や汁物碗を両手で持つと，器や右手の形が普段と異なる 例に見られた多彩な幻視は，一次視覚野への入力が断たれた こと，また同時に小さく見えたことから，変形視と微視であっ ことにより視覚連合野の機能が解放された事により出現，ま たと考えられる． た錯視については後頭葉から頭頂葉内側面にかけての病巣が 本例で認められた幻視，錯視の特徴を考察する．光視に関 原因で，視覚情報の統合不全によって生じたものと考えられた． する系統的研究は少ないが，Kölmel は同名半盲を示した脳梗 本症例は，後頭葉外側の上後頭回および一部舌状回や楔部 塞 92 例，占拠性病変 30 例を含む 125 例で検討し，光視の発 にかけての病巣で盲視野内幻視と錯視が合併した稀な症例で 現頻度は脳梗塞で多いこと，脳梗塞での出現期間は短期間で， あったと考えられる．今後も症例ごとの詳細な症状の解析と， 10 日以上継続する例は少ないと報告している．本例では幻視， 傷害部位の積み重ねが必要である． 錯視は，ほぼ同時期に出現したが，光視のみが約 2 ヶ月後ま で残存したことは特徴的であった．このことは幻視と錯視の ※著者全員に本論文に関連し，開示すべき COI 状態にある企業，組 織，団体はいずれも有りません． 改善過程は異なることが考えられ，また光視の責任病巣は複 雑幻視や変形視，微視と異なる可能性が示唆された 1）．光視 文 献 の種類に関しては，Gloning らは，同名半盲の 241 症例で光 視を認めた 55 症例中，白あるいは無色が 67％，多色は 11％， 両方を認めたのは 22％と報告している ．本例においては， 1） 5） 退院後の詳細を追えていないが，多彩な多色の光視から光視 が消失する経過において，黒から灰色へ変化した可能性も考 えられた． 注目すべきは，自動車での帰宅途中，道路のセンターライ ン上に高さ約 2 メートルほどの連続して見えた葦のようなも ので（Fig. 1），対面からの自動車を遮るほどで延々と連続し ていたと表現している．本例がその直前に類似のものを見た ことで症状が出現した可能性があるが，症状出現から受診す るまで 4 日経過しており，若干記憶が曖昧な点もあり，確定 的ではなかった．自宅内で見た複数個の黒い球体に関しても 同様で，これらの像は実像ではなく複雑幻視と判断される． 複雑幻視の中にもさまざまなバリエーションがあり，本例が 見た幻視は対象が連続したものの可能性が考えられた． 盲視野内幻視については，これまでに後頭葉内側面 6），外 側側頭葉から視床 7），後頭葉と頭頂葉 8），上部脳幹から視床 9） などが指摘されており，また変形視は，後大脳動脈皮質枝領 域の後頭葉前下外側 10），脳梁膨大の近辺 11）～13）で出現する．中 脳障害による幻覚は，視床傍正中部の病変との関係が重要と されている 14）．近年，脳卒中急性期患者の MRI の解析では， 盲視野内幻視の出現は，一次視覚野，視覚周辺野，視放線の 障害との関連が強いことが指摘されている 15）． 幻視の発現機序に関しても不明な点が多い．通常，視覚情 報は網膜の視覚受容器から，視覚経路を経由し，後頭葉の一 次視覚野に到達し，その後二次視覚野および側頭連合野，頭 頂連合野などで情報が統合され，その意味情報や視空間情報 が付帯される．一次視覚野までの入力が障害され部分盲と なった場合，盲領域には視覚入力刺激が消失するが，周辺脳 1）Kölmel HW．視覚の神経学：中枢性視覚障害の臨床と病態生 理．井上有史，馬屋原健訳．東京：スプリンガー・フェア ラーク東京；1990. p. 83-90. 2）平山和美．視覚の高次脳機能．田川皓一編．脳卒中症候学． 東京：西村書店；2010. p. 740-758. 3）Critchley M. 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For five days before admission, he had characteristic polyopia, visual photopia, and complex hallucination. Upon neurological examination, he showed no abnormal findings except for right homonymous hemianopia. MRI showed acute infarction of the occipital gyri and part of the lingual gyrus in the left occipital lobe. After admission, he experienced various visual hallucinations and visual illusions, including metamorphopsia and micropia, many times. They gradually disappeared after 2 months. Various hallucination was caused by the release of visual information, and illusion was thought to be due to integration failure of visual information. The appearance of complex hallucination in the blind visual field is known due to the damage of the region on the left occipital gyrus. However, the cases with various symptoms such as visual photopia and micropsia are rare. (Rinsho Shinkeigaku (Clin Neurol) 2018;58:556-559) Key words: visual hallucination, visual illusion, left occipital gylus, cerebral infarction